レスポンシビリティ

 

レスポンシビリティとは反応を選択する能力のことです。

 

エリナー・ルーズベルトは言っています。

「あなたの許可なくして誰もあなたを傷つけることはできない」

 

ガンジーもこう言っています。

 

「自分で投げ捨てさえしなければ、誰も私達の自尊心を奪うことはできない」

 

自分の身に起こる出来事によって傷つけられるのではなく、自分がその状況を容認するという選択によって傷を受けるということになります。

誰かが何かを言ったことについてあなたがもし傷ついたのだとしたら、それはあなたがその言葉を受容し受容したからだということです。

 

これがレスポンシビリティの概念です。

 

「お前って本当にバカだな」と言った言葉に対し、傷つく人もいれば、傷つかず、何おかしなこと言ってんの?と全然気にならない人もいます。

 

その言葉を受け入れるかどうかを決めることができる。

 

これが自主独立、主体性、責任をとるという意味です。

 

私達は周りの物的な環境に大きな影響を受けたり、その時折の状況、条件づけ、環境、感情に左右されています。

レスポンシビリティはレンポンス(反応)とアカウンタビリティ(責任)で成り立っています。

 

「今までの状況はこれまで私が行ってきた結果である」

そして「私こそがすべての原因と結果である」となるのです。

 

人生に対する責任を放棄すると「反応的」になります。

 

<反応的な態度はストレスになる>

人生に流され、自分の人生に責任をとっていないと誰かに従い、自分の人生は誰かのせいで、こうなったとか、何かのせいで、仕方がなかったという、人生でのストレスを抱えることになります。

 

「うちの旦那がこうだから仕方がない」

「親が自分を育てたせいで大学にいけなかった」とかいうことになります。

 

「職場のAさんが私の悪口を言ったから、傷ついた」

「みんなが自分を攻撃してくるから職場を辞めたくなかったのに、辞めなくてはならなかった」

 

今の自分をつくったのは、自分ではなく、誰かのせいで、自分には責任がないということを言っています。

 

反応的な態度は他者に対して、文句を言ったり、否定的な部分をみて、悪口を言う。

あいつはどうしようもない。

●●しなくてはならない。

●●でさえあったら。

ということになります。

 

自分の人生を自分で掴まないで、誰かに委ねて、待っている状態で誰かがよくしてくれるはず、又は

自分の感情を落ち着かせるために、誰かの承認が必要だと思い、それを過度に要求したりすることは、他者を自分の感情に巻き込み、自分の人生を自分でよくすることを放棄することになります。

 

反応的な生き方とは、自分の人生を放棄して、誰かに委ねている状態で、環境や状況、誰かのせいにして、気を紛らわして他人に指を向けている状態です。

 

これは自分で選択して生きていないので、誰かに従ったり、何かを考えることを止め、誰かの概念を自分のものとしています。

 

こうすると、自分で運転していないのと同じで、走行速度を自分でコントロールできず、ブレーキを踏めない状態と同じで、人生での不安や、恐れが大きくなります。

 

すべては誰かのせいなので、誰かが修正しさえすれば、私の人生はよくなると考えているか、人生を諦めているかになります。

 

ではどうやってストレスである反応的生き方から抜けて、幸せになるための道に行けばよいのでしょうか?

 

 

 

<主体性を持つ生き方へ>

反応的な生き方から抜ける道は、主体的に自分の人生を決め生きることです。

 

まず反応から抜けるには、主体的ではなく、誰かのせいで自分はこうなったなどという姿、反応的な態度に気づくことが必要です。

 

次に主体的な態度を学びましょう。

 

誰かのせいにせず、これは私が選んだ選択だといういう風に考えます。

 

もし自分の考えではないと思ったら、今やっていること、を止めればいいのです。

 

例 彼女が結婚したくないという彼にこういいました。

「私は離婚して、一人で生きてきたから、家族が羨ましい。両親が揃っている家族で、特に、夫が仕事をして専業主婦が羨ましい。そして自分はそうなれないと分かったら悲しい」

 

彼はこういいました。

「普通の専業主婦の人が、嫁姑問題を抱え、介護で大変な思いをして沢山の問題を抱えている。それでも君は普通の主婦が羨ましいのかい?みんな自分だけどうしてこんな目に遭うんだろうって考えてる」

「君は自分の環境の中で大変な思いをしながらも普通の主婦にできない沢山の経験をしてきた。その時々で最もよいと思う選択をしてきた。だから今の君ができあがった。そして僕とも会えた」

 

彼女はこの一言で心が解放され、前を向いて自分の人生を生きる決意をすることができました。

 

素晴らしいコミュニケーション力ですよね。

彼女の感情に揺さぶられず、彼女に共感しながらも、自分の人生からブレずに、問題をきちんと把握させて質問することで、彼女の感情は一旦静かになり、考えるということで自分取り戻すことができるように話をしています。

 

彼女の自己憐憫に同調しないことで、彼女を主体性に気づかせることができました。

 

私達は自分の人生に、自ら責任をとらないで、環境や状況や人のせいにするととてもストレスを感じます。

主体的に生きることは、人生の舵取りを自分がしているのだということなのです。

 

そして自分の人生の責任をとっている時は、どんなに苦しくても、自分で選択したことなので、例え失敗に終わっても、恨みがなく、すんなりと受け入れ再び歩き始めます。 

 

誰かの言動で傷ついてしまった場合の対処法

誰かの言動で傷ついた場合、大抵の場合、誰かに傷つけられたと表現します。

 

この場合、レスポンシビリティの観点からすると、その表現は「私が相手の言動を受け入れたことによって、傷ついた」という表現になります。

 

ここでは、レスポンシビリティ(自分の反応の選択の責任)を持った主体的に反応することをお教えしましょう。

 

まず、基本的な概念の中で重要なのが、ストレスへの対処は、戦うか逃げるかのどちらかの反応によって、対処する必要があるというものです。

 

ストレスに対して対応できない、フリーズ(どうしていいか分からないで、そのままにしておくこと)してしまうと、抑圧された感情は、どこかで、必ず解放されることを望んで出てきます。

 

抑圧された感情がでるときに、ひじょうに危険なのは、誰かを傷つけるか、自分を傷つけるか、ようするに、犯罪となって現れるか、自虐行為(病気など)で表れるということなのです。

 

ですから、なるべく感情を感じたときに、何に反応して感情が出ているのかを観察する必要があるのです。

 

 

感情と向き合う方法

感情が出てくるのは当然の反応なので、出てきたら、それを受け入れてあげましょう。

怒り、嫉妬、疎外感、分かってもらえない悲しみ、誤解されたままの悔しさ、罪悪感、恥、憎しみ等々、どんな感情も、存在すべくして存在していて、それが表れることを否定してしまわないようにしましょう。

 

こんな感情を誰かに見られたくない。又は自分でもそういう感情を感じていることを認めたくない場合は、感情を感じないようにしてしまいますが、そのため感情や、物事をすりかえてしまうことがあります。

 

こうすると厄介なことになります。

脳という機能はいくらでも都合のいいように、又は自分でも無意識のうちに、物事を摩り替えてインプットしてしまうのです。

 

感情は解放されたがっているため、閉じ込められることを好みません。

 

摩り替えてしまうと、感情は出たくても出ることができず、歪曲した形で表現されることになるのです。