ブリージング体験「子供への思い」

子供への複雑な思い

子供が生まれた瞬間から、子供に対して複雑な思いを抱くということが、多々あります。

子供を愛そうとしても、自分の意識では到底動かすことができない感情が出てきて、その感情に支配されてしまったかのように感じます。

冷たくあたってしまう自分と対面し続けなくてはならないのです。

 

幼児は完全に親に依存しないと生きていけないので、親を求めます。

求められることが分かっていて、自分が関わらないと生きていけないと分かっているからこそ、余計に逃げることができない感情と向き合わざるおえないのです。

子供にぶつけられない思いは、どこにも行くことができず、今度は自分を攻撃し始めます。

愛したいし、優しくしたいのに、わけの分からない化け物のような感情が、出てきてしまう。

これはもう、自分ではどうすることもできないのです。

 

「なぜこんな風になってしまうのか、誰か教えてほしい」

きっとそんな風に感じることでしょう。

人生には、自分ではどうすることもできない領域があります。

それを誰も責めることはできません。

傷ついているのは、彼女に他ならないのです。

一緒にいる家族、それに直接関わる子供も、深いところで何かに同意をして、関係性がスタートしています。

虐待は精神的、肉体的に直接攻撃という虐待もありますが、無視、放任という虐待の形もあります。

 

この深い謎を解く鍵は、カルマでさえなく、大いなる宇宙の意思としかいいようがない領域にあるものを見つけねばなりません。

 

彼女の目の中にある透明さは、無限の宇宙に解き放たれた惑星の神秘さと強さ、人間が体験する集合意識の闇を引き受けているとしか思えないのです。

 

すべての事象には、原因と結果があり、意味があります。

どこの領域で捉えるかのよって、意味がまったく違うものになることでしょう。

 

すべてをオープンに開示してくれた彼女の勇気と、愛に心から感謝したいと思います。

 

彼女は物部 深雪さん。

本を執筆している作家でもあります。

 

今回のセッションはセッション内容というより、ブリージングを使った感情の解放ワークをした感想を頂きました。

 

親子関係で苦しむ人々へ、どうぞ、この思いが届きますように・・・・。

 

2018年  古角友子

 

 

 

ブリージング体験談

 

私は心の底から信じるのが苦手だ。

だからこのブリージングも半信半疑だった。

 

けれど、この重くまったく動こうとしない、1ミリだってずれることすらないこのフリーズした「娘への感情」をどうにかしたかった。

何かすこしでも変わればそれでいい、本当にそれだけだった。

 

例えば娘が泣く。

私の顔が能面のようになる。

頭では「ここで私が『大丈夫だよ』って言って抱きしめてあげればいい。

「彼女は落ち着いて笑顔を取り戻すだろう」とわかっている。

しかし、身体が動かない。

彼女にしゃがんで目線を合わせることもなく、私は立ったまま無言で股の間に挟む。

小さな体がしがみついてくる。

そのさらに小さな背中に、手を回す。顔は能面のまま。

それが私の精一杯だった。

本当はそれさえもしたくない。

私の心は泣いている彼女に「嫌悪感」でいっぱいなのだ。

いますぐ突き放したい。離れたい。

それを理性でぐっとこらえる。

 

彼女はそれでも少し落ち着いて「もうだいじょうぶ」と気丈に私から離れていく。

本当は抱きしめてほしいだろうに。

 

それもわかっている。

けれど、私は離れてくれたことに心の底からほっとする。

そして自己嫌悪。

どうして頭ではわかっているのに、

しゃがめない? 目を合わせられない? 抱きしめられない? 大丈夫と言えない?

真っ黒な波のように何度も何度も自問自答する。

次に泣いたら抱きしめてあげよう、そう心に決めてもう何百回できなかっただろう。

 

むしろ彼女に対して嫌悪感が積もり積もっていくばかり。

好きという感情が日増しに薄らいでいくことに恐怖さえ感じていた。

 

例えば娘が楽しそうに笑う。

私は能面になる。

彼女に共感したい。いっしょに楽しく笑いたい。そう思う。

なのに、私の表情は能面から、彼女を馬鹿にしたような冷たいものに変わる。

 

そして自己嫌悪。

そのたびに片頭痛が起きる。

 

不思議なのは、この現象が彼女だけに起こるということ。

他人の子には起こらない。

そして、頭では何をしたら彼女が喜ぶかわかっているのに、感情も表情もフリーズしてしまうということ。

演技すらできないのだ。

私の中の「何か」が必死で、私をフリーズさせているとしか思えない。

 

それを知りたいと思った。

 

このままでは、彼女も私も幸せになれない。

それが恐ろしくて仕方なかった。

 

 

 

ブリージングで

その「何か」が少しでも変われば、その「何か」自身も浄化してくれれば。

願いというより、祈りに近かった。

 

決まった呼吸を続ける。

 

胸とお腹に空気をめいっぱい吸うのが難しい

けれどふんばる。

励ましの優しい声がする。

私を導く優しい声。

 

私は信じるのが苦手。

誰も信じ切ったことなんてないけど、

今はこの声を信じる。

 

私の母との関係を反芻していく。

 

私の母はあまり笑わない人だった。

そしてほめてくれたことはほとんどなく、

「だいじょうぶだよ」と言われた記憶は全くなく、

私が泣くのをとことん嫌い、泣き止むまで怒り続け、殴った。

それを学んだ私が部屋でこっそり泣いていると部屋までやってきて、怒り殴る人だった。

 

それでも私は母が好きだった。

母の人間性がどうかなんて考えたこともなかった。

 

というよりも、好かれたいと思っていた。

 

手は出るが、世話はしっかりしてくれた。

衣食住の管理は手を抜いていなかった。

 

母が好きな服を着て、

母が満足する成績をとって、

母の喜ぶマナーの良さを学び、

母の嫌うテレビは見ず、

とにかく私の判断基準は「母が望むかどうか」だった。

 

そうやって母に合わせると、怒られることは少なくなった。

けれどほめられることや、笑いあうことはない。

素の自分は母に受け入れてもらえなかった。

だから、母の理想になろうとがんばった。

そうすれば母も笑ってくれて、私も幸せになれると思ったから。

 

でもどこまで努力しても母は認めてくれなかった。

 

不幸せそうな母を救うことができない。

私は人を幸せにできない人間なんだと小さな私は思った。

 

一番身近な、一番大好きな人を救えない。

こんなに本気で挑んでいるのに。

そんな私が幸せになれるわけはない。

 

ブリージングの苦しい呼吸の中で、

私は小さいころの自分をみつけた。

 

泣いていた。

 

「私は人を幸せにすることができない」

「私は幸せになってはいけない」

 

そんな感情が伝わってきた。

 

母を幸せにするために、ここに生まれてきたのに。

生きる意味さえも見失った悲しい感情。

 

 

私自身は、身体が震えて手がこわばり、眉間に力が入り、

涙が止まらなくなっていた。

小さいころの自分の感情に乗っ取られて、悲しくて悲しくて仕方なかった。

 

母を愛していた。

でも愛してもらえなかった。

笑顔で抱きしめられて、

「あなたが好きよ、あなたがいてくれて私は幸せよ」と母に言ってもらいたかった。

 

母を愛で救うことが自分の生まれてきた使命だったのだ。

 

それが未成就で、なおかつ未だに母は幸せそうではないので、

小さいころの私が、私の中で悩んでもがいていた。

それに気づいて欲しかったのだ。

大人になった私に。

 

だから、私は人を信じられない、愛しきれない、

そしていつでも自分が不幸になるような気がしていたのだ。

 

私は、そのイメージの中で小さい私を抱きしめた。

もういいんだよ。がんばらなくていいんだよ。

母を幸せにできなかったけど、あなたはよくがんばったんだよ。

もう充分だよ。

 

「いっしょに幸せになろう」

 

小さい私は顔をあげて、ぐちゃぐちゃの泣き顔だったけれど、

笑ってくれた。娘によく似た笑顔で。

 

それから、優しい声が光の道へと私を導く。

 

目の前にまっすぐ伸びる未来への道。

その両脇に大好きな人が並んでいる。

 

まっさきに家族が見えた。

夫、娘、息子。

みんな笑っていた。

 

そこに娘がいてくれたことがうれしかった。

 

 

声が私を現実へ戻す。

小さい私に負けないくらい鼻水と涙まみれの私を、

優しい声の持ち主が抱きしめてくれる。

「おかえりなさい」

そう言われて、身を委ねる。

 

「何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない」

優しい声がそう言った。

 

私は小さいころの私に出会えただけで充分だった。

けれど、

「変わる」と信じていた。

 

<後日談>

 

娘に対してだけ声が低くなり、感情がフリーズしてしまうのが消えました。

イライラしたりはしますが、普通の感情内だと思います。

嫌悪感は全くなくなり、娘とおどけあったりできるようになりました。

 

まだワーク後数日なので、何とも言えませんが、その劇的な変化に自分でも驚いています。

 

娘もきっと、不幸せな私を「愛し、救うために生まれてきた」のだと思います。

私の母も、その母にひどい扱いをうけていたらしいので、「母を救うために生まれてきた」のは、私の母、私、娘、と三代目です。

もしかしたら、その前から続いていたのかもしれません。

 

娘は言葉を話せるようになってすぐに、「ママげんきになった?」と何度も聞いていました。

疲れているときにそれを言われて、何回かキレてしまったことがあります。

 

よく泣くし、いろいろなことに敏感で感づいて、とても手がかかる子ですが、

それも私の感情を刺激するためなんだと思うと納得できます。

 

私が救われるためには、小さいころの私の「愛し愛されなかった」「誰も救えない自分は幸せになってはいけない人間なんだ」という感情を表に出し、昇華させる必要があったのだと思います。

 

だからこそ、娘が私に困ったことを押し付けて、私の演技していない素の部分を出させて、感情がフリーズしていることを教えてくれていたのだと思います。

 

私はとにかく人に嫌われるのが怖くて、素の自分を出すことがまったくありませんでした。母に対して常に演技していたので、それがもう普通だと思っていました。

 

だから、娘の前で演技ができなかったとき、ひどく焦り、なんなのかわからなかったのですが、そのフリーズしていた気持ちこそが、素の私だったようです。

四十年近くも隠してきた素の自分。

 

そして、救われる方にもこんなにショッキングで相当な気づきが必要だったのだと思います。

母も同じ感情だったなら、私を愛せずにつらかったに違いない。

今の私と同じように葛藤もしたのでしょう。

けれど、私のように小さいころの自分が関係していると気づくことはなかったのでしょう。

 

小さいころの私を救えたかはわかりませんが、この連鎖は私の代で切りたいと思います。

そして娘には、素の自分をちゃんと知って生きていってほしい。

自分が、愛すことも愛されることもできる人間だと思ってほしい。

なにより、母親から愛されて、母親のことも幸せにできたと思ってほしい。

 

 

私の感情をフリーズさせていた「何か」は、

小さいころの私の感情だったのだと今ではわかります。

 

そして今でも本当は、母に愛されたい、母を幸せにしたいと、まだ願っているのもわかります。それが、生まれてきた意味なのだから仕方ありません。きっと死ぬまでそう思い続けるでしょう。

 

でも、それが叶わなくてもいいのだと、

できるだけがんばったのだと、

もう次へつなげる時期へ来ているのだと、

小さいころの私と手をつないで行けたらいいなと思います。

私が今、幸せにすべきなのは自分の新しい家族。

そしてもちろん、自分も幸せになっていいのだと。