パワーゲームから抜ける (犠牲者)
パワーゲームからの解放
それぞれ人間関係で起きるドラマは、時として思わしくない方向で自分の役割をすることになります。
一度引き受けた役割から抜けるにはなかなか大変ですが、特に犠牲になっている場合、人生が思うように運ばず、長く時間を無駄にしてしまうことになります。
救済者と被害者、加害者の3つの役割があるとしましょう。
あなたはどの役割をしていますか?
大体は救済者といいます。人はやっぱり誰かの役に立ちたいと思っているのですね。
でもこの救済者は時に被害者(犠牲者)になることがあるのです。
主体的を手放してしまっている場合、意識的な選択をしていない場合は、被害者(犠牲者)となります。
<物事は自分の観念通りにドラマが展開する>
前回の観念と投影のところでご紹介した彼女のお話しに戻りましょう。
この役割の図でいくと以下のようになります。
夫=弱者(被害者)
暴君=妻(加害者)
救済者=夫にとっては姑、妻にとっては友人などとなります。
あなたが一度誰かを悪者だとして見たら、その人はあなたにとって悪者になります。
その人はあなたにとっての悪役という役を演じなければならなくなります。
<自分で選択したことに気づきバランスをとる>
まず主体性を取り戻しましょう。
何かや誰かの犠牲になっているのが嫌なら、犠牲者をやめることです。
「私はこれを選択しない」と自分に宣言し、自分を犠牲にしないことです。
もしそれでも犠牲になっていると感じるのなら、それはあなたが犠牲になることを「何らかの意味を持って選択しました」ということになります。
自分が嫌だと思っている役割を降りればいいのです。
相手の反応が気になり、役割を降りれない場合はその役割を続けますと同意したことになります。
気づきは人を本当の意味で解放するのです。
一番よくないのは、受動的攻撃性です。
<受動的攻撃性とは>
受動的攻撃性とは、相手がしたことを怒ったり、恨んだりすることで、物事の対処を自ら行わず、責任を放棄することです。
遠回しの敵対行為であり、きっぱりと断るような人がいる一方で、受動的攻撃性の人間は、要求されたことをいい人を演じながら間接的に断るやり方をとります。
OKを出したのに、それをお願いすると、後で本当はやりたくなかったのだと裏で文句を言うなど、これは受動的攻撃性です。
育ってきた環境は受動的攻撃性を生むことがあります。
なぜなら私達は生き延びる戦略を模範となる親から学ぶからです。
両親の中で支配的な人がいた場合、他の家族がそれに服従するという家庭に育った場合は、受動的攻撃行動をする傾向が強くなります。
怒りを発する人間に直接関わらずに、欲しいものを手にするために、支配的人間に対してうそをつき、黙っていることは、悪くないことだと思っています。
「●●さんには内緒にするから」という言葉は受動的攻撃性です。
私達は時々、受動的攻撃性を無視してしまうことがあります。
恐がりで衝突やトラブルを避ける人、自信がない人は受動的攻撃的になりやすいです。
怒りの感情を持つことを許された経験がないと、このような結果を生んでしまうのです。
時代や育った環境で、怒りを出すことは悪いことだと教えられた場合、平和に解決しないといけないと教えられた場合、自分の感情を出してはいけないと教えられた場合は、受動的攻撃性を使って、自分の思いを通そうとします。
これはとても分かりずらく周りがてこずってしまいます。
本当の気持ちを隠してしまうため、何を望んでいるのかが明確でないので、言葉の通りに動いたらいい人の仮面を使って、反発されてしまいます。
<受動的攻撃性への解決方法>
●受動的攻撃性を認識すること。
行為の本質は本心を隠すために行った反発行為だと認識することが大事です。
私達がしてはならないことは、受動的攻撃性を出す彼らに寛大な態度をとることです。
一度許すと、他の選択肢がなくなります。
権力争いであるという認識が重要です。
●意思と態度をはっきりする。
不当な扱いをされることを許さない、容認しないという態度を示しましょう。
いつも約束に遅れる人で迷惑をこうむっているのなら、その日は会わないという姿勢を見せることです。
パワーハラスメントや暴力をふるう人がいたら、付き合わないという態度を見せます。
●きちんと向き合い、細かく話す。
問題が何かをはっきりさせます。
対立の際に気をつけなければならないのは、言葉が明確でないことです。
誤魔化したり、飛ばしたりせず、細かくきちんと順序だてて話をすることが大事です。
特定の行動に関して話し、人格を否定するような言葉や態度はしないようにします。
●断定的会話をするようにする。
話をよく聞き、会話中に非難をしないことです。
自分の意見をはっきりさせ、他者の考えを聞きます。
他者を認め、彼らの気持ちを認めますが、同意するのではないということです。
自己破壊であるということを伝えます。
怒りは適切な形で処理することが大事ですが、ダメな訳ではありません。
怒りを使って、自分の目標に進む人もいます。
怒りがでたら、直接対処します。
対立することは恐くないのだと認識してください。
他人がどう思うかを過剰に気にする人は自分を犠牲にして調和しようとします。
自分の要求は言わないで、他者の意見に同意し自分の意見は無視することはしてはなりません。
自分自身に従うことです。